何処かで聞いた名言

「愛の反対は無関心」という言葉をつい先程目にした。どちらかというとあまり好きな言葉ではない。語呂が悪いし、納得できないから。
愛の反対が無関心なら、無関心の反対は愛ですか?
考察をする上で、「愛」という言葉に実体がない点が問題となる。いや、人によってはあるのだろうけれど、使う人によってその意味するところの誤差が大きすぎる。少なくとも「無関心」よりは曖昧な言葉だろう。
例えば「愛の反対が無関心」という言葉を疑いもなく使えてしまう人にとって、愛という言葉は「強い関心」を意味し、方向性に関するニュアンスは小さいのだろう。随分と乱暴なことだ。「強い憎しみは愛と同じ」とも聞く。確かに方向を無視すればそうかもしれない。でも私には、「前進の反対は停止」「前進も後退も移動しているという点では一緒」という理屈に聞こえてしまうのだ。つまり、私が愛や憎しみといった言葉に対し、感情の強さより方向性のニュアンスが強いと感じているからなのだけれど。
でも…、本当にそんな言葉のとらえ方の問題?
しかし、である。見方によってはこれってとても健全なんじゃないだろうか? 愛と憎しみを同じものとして捉えるのはひょっとして憎悪という感情を知らないからでは? 地球に南極が存在しなければ、赤道の反対を北極と言っても良い筈。憎悪を知らなければ、愛と無関心を対極だと見なすのも理解できなくなくなくもない、けど……自分で書いてて思った。これはない。
何が言いたいかというと、無関心の対極は執着だろうと。つまり「恋の反対は無関心」なら納得できるんだけどね、ってこと。……認識の問題ですか、そうですか。