何故に Wikipedia を Wiki と称すると気持ち悪いのかについて

世の中には Wikipedia のことを Wiki と略す人がいるのだけれど、私はこれを見る度に気持ちが悪くなる。


最初は、携帯電話を携帯と言うようなものだと思っていた。
でも「携帯」という表現に対し、私は特に違和感を覚えない。おそらく「携帯」という単語が動作を表すからであり、この言葉を「物体」と見做す文脈においては誤解のしようが無いからだと思う。
一方、単にWikiという言葉でどこかのウェブサイトを表している場合、それはWikipediaとは限らない。話題に応じたまとめWikiが無数に存在する。
畢竟、Wikiという言葉を見かける度に私はこう感じてしまうのだ。「特にどのWikiを指しているか明示されない場合はWikipediaに決まってるだろ」と。
携帯電話に例えれば「今時、電話と言ったら携帯電話に決まっているだろ」と言ったところか。んな横暴な。


因みにこれ、英語の冠詞について勉強している最中に思いついたネタだったりする。
英語で international understanding といえば国際理解のことだけれど、the international understanding なんて書いてしまうと「何に関する国際理解だよ?」と思われてしまう、らしい。
一方、何の補助説明もなく the U.S.A. となるのは、U.S.A が世界に一つしかないから。
無冠詞の名詞は集合で、冠詞をつけると元になる。定冠詞の場合はどの元かまで指定されており、不定冠詞の場合はどの元でも良い、というのが私の理解。


Wikipedia の略称問題と似ているよね?
ところで此処まで書いて気付いたんだけど、WikipediaWiki と 略して気にならない人って、傲慢でもなんでもなくて、単に Wikipadia 以外の Wiki を知らないとかいうオチじゃね?