AIR見た。

世間のアニメ映画としてはエヴァCLANNADだというのが流行なのかもしれませんが、私は先程AIRを観ました。
いや、Gyaoにて無料放送中だったので、数々の悪評の中で耳にした設定矛盾の解消法がちょっと気になってて……。


基本的には恋愛悲劇路線に変更されており、病弱ヒロイン死亡ってあたりは流行に合わせたような印象。数々の理解しがたい*1変更点も、狙いはその辺りかな、と。
ただ、そっち方面を狙ったところで一般人はAIRを見に来ないと思うのですが。そして観たとしてセカチュー系に慣れている人間にとっては悲劇性が足りないと思われるのですが。……そんなことを感じさせる出来でした。
あと、多用される劇画調静止画がうざい上にテンポを悪くしていたのが気になった。
他にもいろいろと突っ込み処はあるけれど、要するに噂に違わぬ酷さでした。
監督、設定まともに理解してないでしょ。あるいは自己解釈が激しすぎでしょ。独自解釈というよりキャラ造詣だけ残した別作品です。
以下、原作を知っている人とか映画を観た人向け。


一番酷い変更は、家族愛が恋愛にすり替えられてしまった*2点かと。そのためかどうかはともかく観鈴がただの病弱ヒロインになってしまい、神奈とは何の関係もないことに。神奈と観鈴を「人と結ばれると苦しむ」という設定にして、ただ単に観鈴の苦しみを神奈と重ねるだけ。何のために翼人伝説設定を残したんだか。呪い等のファンタジー要素を伝説の中だけに治めたかったのなら、往人の人形もどうにかしたはずだろうし……意味不明。
で、恋愛偏重主義の変更のために往人はゴールのシーンでも生きていて、観鈴が死んだ後町を去って終幕、というから吃驚。
原作においては、往人も春子も「観鈴のための行動」というものがきちんと描写されていたはずなんだけどなぁ。映画版の春子はあっさり観鈴を手放そうとするし…。ていうか、往人はせっかく生き残ったんだから「人形で観鈴を笑わせる」っていう原作シーンを入れた方が良かったじゃなかろうか。せっかく病弱設定なんだから、行方不明にさせる必要もないんだし。そのための「子供に受けない」人形劇という設定だったのに…。
佳乃や美凪が殆ど登場しないことに関しては、まぁ神奈や柳也たちみたいに別人格に設定されちゃうよりはマシだということで……。

*1:話の流れを不自然にしてしまうという意味において

*2:セカチューみたいな流行路線に合わせたのかしらと勝手に推察。